「仕事やること多すぎて辛い」
「子どもや保護者とうまくいかない」
「いっそのこと教員辞めたい」
自分が教員をしていた時、
こんなことを思うことが多かった気がします。
今回は特支教員3年、小学校5年→民間営業職へ転職した
私が今だから言える教員時代の失敗談をお話します。
失敗談が教員を辞めた理由と結びつきませんが
教員をしていて辛いなと思ってる人が
他人の失敗談を知ることで、
「自分だけが駄目じゃないんだな」
「周りも失敗だらけなんだな」と
少しでも勇気を与えられたらと思いますので、最後までご覧ください。
学級会計の入力ミス
あれは小学校に赴任して1年目、
単学級5年生を担任した時のこと・・・。
小学校採用ではありましたが、
当時、特支→小学校へ異動ということで
何も小学校システムが分からず、苦労しました。
教員をしている人ならご存じの「初任者指導員」も
私は特支学校の経験があるため、いませんでした。
ですので、ほぼ初任者のような右も左も分からないような状態で
教員生活4年目がスタートしました。
そんな私の失敗談1つ目。
【学級会計の入力ミス】
特支学校でも会計の仕事はありましたが、
簡単な用紙とレシートを提出するだけでした。
小学校ではExcelで細かく管理され、正確に入力したり
追加徴収、調整月などを意識したりと難しいことが多かったです。
それでも同僚に助けてもらい、何とかやれてたんですが
年度末の会計報告前に
「調理実習のレシートが税抜で入力されている」ことに
事務員さんが気付いてくれました。
自治体によって異なるかもしれませんが
私の勤めていた学校では年度末の会計が0円になるように
(余ったお金が出たら、画用紙等の教材に充てるように)
調整しなければいけませんでした。
税抜きで入力されていると分かったのが
その調整が終わった後の最終監査の時。
税抜きの分、各家庭から追加徴収しなければいけませんでした。
金額は各家庭10円・・・。
しかも、子どもを通してではなく
直接親が学校に持参するような流れになり、
当時、学級経営もうまくいっていなかったこともあり
このときは保護者からのクレームが多かったです汗
(自分が100%悪いんですけど・・・)
こういう所でまた信頼関係って崩れるのか・・・と
落ち込みました。
学級崩壊
教員をしていて一番辛いこと・・・
それは自分のクラスが学級崩壊していることではないでしょうか。
この経験も先ほどの続き、5年生を担任していた頃の話です。
これはお世辞でもなんでもなく、
子どもたちは本当に優しくて真面目な子ばかりで
学級崩壊気味になったのもほぼ自分のせいでした。
先ほども触れましたが、自分は特支からの異動で
小学校は初任者、でも初任者指導員はいない。
同僚もいい方ばかりでしたが、基本は自分のことで精一杯で
私のフォローばかりなんてできません。
学級崩壊といっても色々ありますが
私の場合は
子どもたちが担任に不信感をもっていて
言われた通りのことはするけど、向き合ってはくれない。
影で担任の悪口を言い合う。という感じでしょうか。
何でそうなったのか理由もわかります。
①授業が単調で一方的に教える形式
②子どもたちの主体性が育たない学級活動
③子どもに人気のあるお局教員が入教で私のあら探しをする
特に大きな原因は①だと思います。
学校生活の大半が授業で、
その授業が
・発言する機会が少なく、子ども同士の活動もない
・教員が一方的に教える形式
・4年生までの担任と比較すると内容うすい
自分も教材研究とかは可能な限りしていましたが
・初任者でないから指導してくれる人がいない
・校務分掌も多い
・主体的・対話的な授業とは?
・板書ってどうやればいいの?
分からないことやそもそもの仕事量が多すぎて
かなり辛い日々を過ごしていました。
そんな余裕のない担任だと子どもたちも
察しますので余計、信頼関係を築くのは難しかったです。
卒業文集の職員写真事件
失敗談1つ目、2つ目が自分の中では特に辛い経験でした。
残りの3つはそれに比べればたいしたことありませんが
私にとってはそれなりのダメージは受けました・・・汗
先ほどの5年生を持ち上がり、6年生担任になった小学校教員生活2年目。
忙しい日々は続いていますが
少しずつ授業のやり方や子どもとの向き合い方が分かってきて
学級崩壊は徐々におさまっていきました。
しかし、6年生になると卒業アルバム作成に向けて
子どもたちは文集を書き、担任も構成を考えたり、写真撮影の時間を
設定したりと大忙し。初めてだったので尚更。
そしてアルバムに載せる職員写真を撮影する日を決めたのは
いいとして、服装についての周知をしていませんでした。
教職員には正装で撮影すると前日に周知できたのですが
支援員さんのことまで頭が回らず、当日の朝、同僚が気付いてくれて
あわてて連絡しても間に合わず、
支援員さんだけがジャージ姿という・・・汗
たぶん根に持たれたと思います。
修理費30万円の痛手
4つ目は違う学校に異動し、赴任2年目、5年生を担任した時の話。
小学校経験も4年目になり、だいぶ自分でやりたいことや
手の抜き方が分かった頃でした。
慣れたとはいえ、その分仕事量は遙かに多かったです。
この事件は6月中旬に起きました。
私は土日も学校に出勤し
・体育主任としてプール、陸上大会の準備
・5学年主任として自然教室の準備
・若いから!という理由でやらされた市の公開授業準備
この三大苦で休む間もありませんでした。
そして日曜日の午後、仕事を終え、帰宅。
アパート前で・・・
ガッガッ ガガガ----
・・・やってしまった。
お気に入りの車を高さのある縁石(壁?)に擦ってしまい
左ドアがかなりえぐれてしましました。
ただでさえ、土日に仕事をがんばり、すでに疲労困憊。
「明日も学校あってやること多いのに・・・」と
悲しみながら板金屋さんを探して修理を依頼したのを
今でも覚えています。
ちょっと学校での失敗談とズレているかもしれませんが
長時間労働の影響を受けてということで・・・
皆さんも疲れが溜まっている時は気をつけてください泣
冬のスリッパ事件
5つ目は先ほどの5年生を担任した冬。
あの時の自分は「子どもになめられたら終わる」と
思っていて、割と厳しさを全面に出す教員でした。
もちろん、穏やかな時もありましたが、同僚に比べると
「〇〇先生を怒らせたらやばい」と思われていたと思います。
その2月上旬頃だったと思います。
雪が積もり子どもたちはおおはしゃぎ。
一方で5年生ということで6送会の準備や
学習発表の準備で
担任は大忙しのある日の昼休み。
5年生の児童数名が昼休みに雪遊びをしていて
靴や靴下がびしょびしょのまま帰ってきました。
そして濡れたままの素足でスリッパを履いて
教室に戻ってきました。
私は学習発表会の準備でその場にはいなかったのですが
もう一クラスの5年担任に
ある児童が「スリッパを貸してください」と言って
許可をとったそうです。
そこまでは許せました。
ふざけて濡らした、自業自得にしろ、きちんと
許可をとって履くなら、1回くらい大目に見ました。
しかし、自分の担任している子ども数人は
直接先生に許可を取らず、
「その子たちがスリッパ履いてるなら
俺たちも許可取らずに履いていいよね」という考えで
無断でスリッパを履いていたことに
私の厳しさセンサーが反応しました。
今思えば「なぜあんなに厳しくしたのだろう」と
思いますが、行事も多く心の余裕がなかったんだと思います。
「あなたたちはしっかり許可を取ったのか」
「周りの人が履いているからって自分たちも履いていいのか」
というお説教が始まり、納得した子どももいたのですが
ある児童はなかなか納得いかず。
私もその児童に対してイライラしていると、
掃除の音楽が鳴り始めました。
「次から気を付けるように」と言い
扉を「バンッ!」と閉めてしまいました。
放課後、スリッパの説教&扉の件が保護者の耳に入り、
軽いクレームがありました。
その保護者は学校活動に理解のある方でしたが
私の行き過ぎた指導には納得いかなかった部分も
あり、私も謝罪しました。
そして、保護者との話の中で
「〇〇先生は少し厳しすぎると聞いている」
「保護者としては厳しい部分もあっていいと思うが
一定の子どもに先生の指導が届いてないのが心配」
ということも言われました。
そこで私は
・前任校では子どもと向き合えず、厳しくできずにいて
学級崩壊を起こした
・今回は厳しさが裏目に出て、自分の思いが届いていなかった部分も
あったんだな
・厳しさだけでは駄目だ
と反省しました。
時は経ち、その学年を持ち上がり、無事に卒業させることができました。
私自身も長時間労働に嫌気がさし、もっと人生楽しく生きたいと思い
子どもたちの卒業と同時に自分も教員を卒業しました。
まとめ
今回は私の失敗談を長々とお話しました。
まだまだたくさんの失敗はあると思いますが、
印象に残っている5つを選びました。
ここで特にお伝えしたかったことは
「誰にでも失敗はある」ということ。
昔の失敗談は後輩同僚にもよくしていました。
それは打ち解けるという狙いもありましたし、
〇〇先生でも大変な時期があったんだなと知ったり
自分だけがうまくいってないと思ってほしくなかったからです。
おかげで同僚との距離感は近く、頼られる存在だったのでは?と
我ながら思います笑
そうなんです!
失敗は誰にでもあります。
それは教員でなくてもどの仕事にでも!!
失敗したその瞬間は辛くて辛くて
仕事辞めたくなっちゃうかもしれませんが
数日経てば大丈夫!!
その辛い経験が、次の自分の成長のステップアップに
必ずなっています!!
私自身、
・会計ミスした→会計関係はよくチェックする
・子どもとの向き合い→本当にその子のためになっているか
・職員写真の服装周知→細かなところまで気を配れるようにする
などなど、その失敗があったからこそ
今の成長した自分になっているのだと思います。
失敗しても、いつまでも落ち込まず
早めに切り替えて次に生かせるように
がんばっていきましょう。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。